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No 91
Date 2008・01・14・Mon
悲しい出来事![]() 先日、1月10日イタリア時間の朝4時に私達の恩師の ジュリアーノ・チャンネッラが天に召されました。 彼が、どんなに偉大だったかは、私がここに書かなくても ネットで検索すれば出てくるはずですし、DVDも発売されているので あえて書きません。 あまりのショックに、すぐにはブログに書くことが出来ませんでした。 SOSHIは丸7年、ジュリアーノに習い、ただ歌を習うだけではなく イタリア生活のほとんどをジュリアーノと過ごしました。 ジュリアーノは、本当の息子のようにSOSHIを可愛がっていましたし SOSHIもイタリアでのお父さん、という間柄でした。 SOSHIがジュリアーノに習い始めた頃は、まだ日本人がジュリアーノの 所に、ほとんど習いに来ていなく、今いるジュリアーノの日本人の生徒さん達は ほとんどSOSHIが紹介し、そこから増えて行った生徒さん達です。 さまざまな理由があったのですが、ジュリアーノの演奏記録CDを作りたいと SOSHIが提案し、本当に貴重な、世界に一つしかない大事な記録テープの ほとんどをSOSHIに預けてくれ、CD製作をしたりもしました。 私、KEIKOと言えば2000年のヴェローナでの講習会で 初めてジュリアーノのレッスンを受け、「この先生に習いたい!!」と いう思いだけで、留学を決めました。 私はコロラトゥーラ・ソプラノという声種で、有名な「蝶々夫人」だとか「トスカ」 などは歌える声ではありません。 でも、一般的にそういう曲を歌える声、つまり太めの声が好まれる傾向があります。 私は何度もいろんな人から「もっと声が太くなるといいわね」と言われて来ました。 それはうまい下手ではなく、声質の問題ですので なるわけがないのです。 だけど、きっと私の中では無意識に「太い声にしなくてはいけない」と 思っていたようで、ジュリアーノは、いつも言いました。 歴史に残るのは、コロラトゥーラ・ソプラノが多いだろう? 太い声のソプラノだけが素晴らしいわけじゃないんだ。 KEIKOは美しい声なんだから、そのままでいいんだ。 作らなくていいんだ。 素晴らしい音楽家だ・・・ と。 私の声にあったレパートリーを完璧に、私に守らせ 決して重たい物を歌わせませんでした。 いつも楽しいレッスンばかりだったわけではなく、本当に厳しいレッスンでした。 そして一番大切なのは、私達のグループ名にした「Felice」でした。 いつも「Feliceが足りない!Feliceを感じろ!」ばかり言われていたような気がします。 ジュリアーノのお子さんのベビーシッターもしましたし ジュリアーノのコンセールの生徒さんのレッスンも引き受けました。 お互いの家に良く行きましたし、私の家でレッスンをしたりもしました。 本当に家族のような付き合いでした。 今年は、イタリアでジュリアーノに会えるかなと思っていたのに。 私達のイタリアのお父さんが、亡くなってしまった。 もう二度と逢えない。 もっともっとおじいちゃんになるまで、生きてほしかった。 ジュリアーノがいなかったら、私達SOSHIとKEIKOは出逢っていませんし 結婚もしなかったでしょう。 そしてオペラデュオFeliceもありませんでした。 「Felice」という言葉が遺言のように感じます。 ジュリアーノに教わった事を、実践出来るように これからも歌い続けていく事が、今の私達に出来る事だと思います。 きっと、それが喜んでくれることだと思うから。 ![]() |


