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No 68
Date 2007・09・13・Thu
秋のメモリーウェディング パーティイベント終了9日、新・迎賓館TOKIWA誕生記念
秋のメモリーウェディングの誘い・テーマブライダルショー 終了致しました。 しかし・・ 私KEIKOは、8日三条・餞心亭おゝ乃にてオペラシアター挙式を 行い、新潟へ帰ってきてから なんと! ぎっくり腰になってしまいました・・・(涙) 昨年も軽いぎっくり腰になったのですが 今回は、とても辛くまっすぐ立つ事も歩くことも出来ず ハイジの「クララ」のように車いすが欲しいわ・・状態で 9日のテーマブライダルショーには出演することが出来ませんでした。 会場スタッフ、お客様、そしてSOSHIには大変ご迷惑をおかけして 申し訳ありませんでした。 9日はSOSHI1人で「乾杯の歌」を歌ってきました。 そして昨日12日は、上越デュオセレッソのパーティで 歌ってきました。 私は、まだまだぎっくり腰は全快ではなく ぎっくり腰になってから、初めて外を歩きましたし 初めて歌いました。 まっすぐ立つ事がまだ難しい中、そうとわからないように 見せて演奏するのは難しい事だな、と痛感致しました。 こういう所が日本。 海外では考えられない部分です。 日本では辛い体調を押して頑張るのが美徳。 体調を壊すのは本人が悪い。という考えが多いのですが 海外では違います。 無理を押して出演することこそ恥ずかしい事であり 人間ですから体調をくずすのは当たり前。 女の人は当日のお昼までキャンセルすることが当然の権利とされています。 でもここは日本なので、そんな外国かぶれ(?)の考え方を 口にするまでもなく、頑張りましたが・・(^_^;) 新潟から上越への道は、だいぶ綺麗にはなったものの まだ地震のあとが見られます。 高速道路を元に戻すのは大変な作業で、どのくらいの時間がかかるのだろう・・と思いました。 Feliceの活動を始めてから、初めて体調不良により 演奏出来なかったり、大変な思いをしました。 健康ってホントありがたい事ですね。 私がこんな体調ですので、今回、伴奏者のちはるさんが 上越まで車を出して下さり、ドアの開け閉めまでやって下さいました。 もちろんSOSHIもドアの開け閉め、荷物持ちなど全部やってくれました。 お見舞いをわざわざ持ってきてくれた友人もいて 優しい人達に囲まれて、私は本当に幸せだなぁ、と思いました。 |
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No 67
Date 2007・09・13・Thu
パバロッティと恩師先日6日、3大テノールの一人であるパバロッティが亡くなった。 私達のイタリアの恩師は、パバロッティとメトロポリタン歌劇場時代の 友人である。 その恩師が、偶然にも同じ頃危ない状態だった。 イタリアの友人から電話が来て 私達の恩師が、危ないと言ったのは4日の夜の事だった。 2年前からガンで闘病生活を送っていて 退院しては、レッスンを行ってはいたのだが もう日本には来られないだろうな・・という感じだった。 その先生が、今度こそ危ないと・・。 私は通算5年しか、その先生には習わなかったが SOSHIは丸7年。 息子同然だった。 今すぐイタリアへかけつけたい気持ちでいっぱいだが 社会人はそうもいかない・・・。 で、時差を考えてからイタリアに電話。 夕飯を食べる時間には携帯をonにしてるということだったので。 いつもは、大声で早口の先生なのだが 弱々しくゆっくりな喋り方・・。 「KEIKOにもう一度レッスンしてやりたかったけど・・ 次の機会(次の人生)になりそうだな・・」なんて 言うのだ!! 「次の人生じゃない!今の人生で次に会った時だよ!!」 と言ったら 「ありがとう・・」と。 そんな調子だったが次の日、5日の夕方には持ち直したと 連絡が入った。 そして次の日にパバロッティの訃報。 パバロッティが亡くなったのは、とても寂しいが 恩師の事があったので、とても不思議な気持ちだった。 恩師が危ないという連絡のあった昼間 私は普段、全然聴いていなかったイタリアでのレッスンの MDを聴いていたのだった。 久し振りに先生の声を聞き、なつかしく またイタリアにレッスンを受けに行こう!と思っていた 夜に連絡が入った。 こういうことってあるんだ。 |
